知能とは何か?

「パターン情報システム論」という人工知能の講義で、最後の回に「知能とは何か」について1人づつ簡単に考えを述べていく、ということをやった。 その時に考えたことを書き留めておく。

知能の定義について

自分は、知能とは問題解決能力に加え、創発性と予測不可能性をもつものであると考えている。 創発性とは、得られた知識から新しい概念を自力で編み出す能力のことである。 たとえば、現実世界の様々な物体の画像と名前を覚えたとき、りんごや郵便ポスト、パスポートなどをまとめて「赤いもの」というカテゴリで表現できることに気づく、というような振る舞いが挙げられる。

予測不可能性とは、振る舞いの完全な予測が不可能であるということである。 これは人間を例にすると、ある人の前にケーキを置いたとき、その人がケーキを食べるか、気にせずに立ち去るかというのはどちらも同程度に起こりえる行動であり、 どちらになるかは予測不可能であると言える。 一方、単純な線形分類器などは、分離平面さえ分かってしまえば振る舞いの予測が完全に可能となるため、振る舞いの予測が可能である。

線形分類器の例から分かるように、予測不可能性は観測者がもっている知識の量に応じて変化する。 もしも観測者が線形分類器を知らなかったり、分離平面のパラメータを推測できなかったりする場合には、やはりその振る舞いは予測不可能であろう。 自分は、この問題については「観測者にとって知的に見えれば、その観測者にとっては知能である」という立場を取っている。 すなわち、ある機械が知的であるかどうかは一意に定まるものではなく、あくまで観測されることでしか知能の有無は判定されない。

また、問題解決能力と創発性の存在から、予測不可能であればなんでもよいというものでもない。 これらは入力に対して合理的な出力を要求する制約である。 刺激に対してランダムにモーターを駆動するロボットは確かに予測不可能ではあるが、これは反応に対する合理性が欠けている。 また、その予測不可能性も知識から導かれたものではなく、勝手にそうなっているだけとしか言いようがない。

これは多分に人間を念頭に置いた考え方ではあるが、逆に観測者が人間である限りは機能する基準であると考える。 最後に、上記の議論をまとめた例を挙げる。

コンピュータ将棋のソフトであるBonanzaやGPS将棋は、将棋に対して十分な問題解決能力をもっている。 また、学習された棋譜から新しい手を思いつく能力、可能な手のうちどれを指すか(人間の頭脳では)正確には決定できないという点で、創発性、予測不可能性ももっていると言える。 したがって、この文脈において、BonanzaやGPS将棋は知能であると言ってよい。

ただし、これらの将棋ソフトをロボットの制御など、違う文脈で使おうとすると全くナンセンスな出力しか得られない。 ロボットの出力としてはほぼノイズであり、ランダムであると見なしてよいから、予測不可能性は成立すると考えられる。 しかし、この出力は入力に対応した意味をもっていないため、合理的ではなく、この文脈では知能とは呼べない。